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匠の考え

根本復興大臣の会見[平成26年9月3日]

1.発言要旨
  皆さん、最後の記者会見になりましたが、大変この間、お世話になりましてありがとうございました。
  安倍内閣では、経済再生、国の危機管理と並んで、復興の加速化を最重点課題として位置づけてきました。私は復興大臣として、復興の司令塔として、真の政治主導で各省を動かし取り組んできました。1年8カ月余り、現場主義に基づき、被災者の皆様に寄り添い、全力疾走を続けてまいりました。その結果、復興の加速化にしっかりと道筋をつけ、確かな手応えを感じています。
  第一に、住宅再建・まちづくりについてであります。これは被災地の最大の課題でしたが、第一弾から第五弾にわたる加速化措置によって、大きく進みました。
  防災集団移転促進事業の着工率は、政権交代から約1年半で12%から92%に、用地取得率も、用地取得加速化プログラム、用地取得の抜本改革を打ち出したときの昨年9月の49%から、本年6月末、84%に大きく向上しました。   予算の執行も、報道ではあまり伝わっておりませんが、昨年に比べ、復興交付金の現場での契約率は68%と15%改善、それ以外の事業の執行率も67%と、5.7%改善、特に、まちの復旧・復興分野では17.9%と、大幅な改善となっています。   用地確保や入札不調、人材・資材不足などの様々な課題があることは事実ですが、それらに対して、復興大臣である私が「司令塔」として各省の局長クラスを集め、タスクフォースを創設し、省庁の縦割りを乗り越え、陣頭指揮を執りました。タスクフォースというのは、作業部会と訳されておりますが、私に言わせれば「戦略実行部隊」。そのつもりで、先頭に立ってやってまいりました。
  そして、矢継ぎ早に的確な対策を打ち出した結果、このように目に見えて復興の加速化が進んでおり、被災者の方々に安心できる住まいを一日でも早く、一戸でも多く確保することに大いに貢献できるような体制をつくることができました。今後は、次々に復興公営住宅などが完成していくことになるだろうと思います。
  第二に、産業復興についてであります。私は、時間軸に応じた取組が必要だと考えています。特に産業復興については、復興のステージが上がるにつれて、公共インフラ復旧といった官のフェーズから、自立的で持続的な活力ある地域経済の再生という民のフェーズにステップアップいたします。このような認識の下で、私は産業復興創造戦略をとりまとめ、民間活力をベースに、官民の幅広い連携等を通じて、戦略的に産業復興を進めています。
  例えば水産加工を例に分かりやすく言えば、地元の企業が公的な支援も受けつつ、震災前よりも魅力のある商品を開発することが重要だと思います。そして、東京の企業などがその販路の拡大を支援、その際に地域全体で人材確保を支え、また、その恩恵が地域全体に行き渡るようにしようとするものです。
  今年7月には、官民が連携して金融関連施策を強化し、新規の民間資金を円滑に供給する観点から、金融機関等から構成される「復興金融ネットワーク」を設立しました。
  第三に、健康・生活面の支援についてであります。仮設住宅での避難が長期化していると同時に、復興のステージが上がったことに伴い、災害公営住宅への移転による被災者の分散化も進んでいます。健康・生活面での支援を復興の新たな柱として位置づけ、現場の話をきめ細かに聞きながら支援を強化しており、先般、被災者の健康・生活支援に関する総合施策を策定しました。具体的には、見守りなどの拡充を図るため、相談員や復興支援員の大幅な増員を目指すことにしました。また、被災者支援のコーディネート機構の強化や、農業や伝統文化の継承など、「心の復興」のための生きがいづくりにも力を入れることとしています。
  第四に、福島の再生についてであります。福島については、地震、津波に加え、原子力災害に見舞われました。そうした福島特有の問題に対応する施策を抜本的に強化するため、大臣就任後、直ちに「福島ふるさと復活プロジェクト」を創設しました。例えば、福島の子どもたちが原子力災害に伴い、屋外で十分に運動する機会が減少し、体力・運動能力が低下するなどの問題が生じました。このため、子ども元気復活交付金を創設し、子どもたちが伸び伸びと運動できる環境の整備に真っ先に取り組みました。
  また、福島の復興にあたり前提となるのが、賠償、除染・中間貯蔵施設、廃炉といった課題ですが、そうした課題についても、昨年末「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」を閣議決定し、国の取組を強化したところです。この方針に基づき、早期帰還支援と新生活支援の両面で福島を支える「福島再生加速化交付金」を新たに創設しました。
  併せて、復興にあたり、個々人の不安に対応したきめ細かなリスクコミュニケーションを推進することが重要です。本年2月、「帰還に向けた放射線リスクコミュニケーションに関する施策パッケージ」をとりまとめ、公表しました。
  また、例えば避難地域内で、今年度から、浪江町、富岡町、大熊町、南相馬市で稲の実証栽培が開始されるなど、営農再開に向けた取組も着実に進んでいます。
  こうした中、本年4月には田村市で避難指示が解除され、また10月には川内村でも避難指示解除すること等が、近く、原子力災害対策本部で決定される予定であるなど、帰還の動きも本格化してきました。早期に帰還を進める地域については、安全・安心対策の具体化や、農業、商工業の環境整備を進めています。
  同時に、長期にわたり避難を余儀なくされている地域については町外コミュニティの整備、新しい生活を選ぶ方には、必要十分な賠償や復興拠点の整備を行うことなどを進めています。
  そして、懸案であった中間貯蔵施設についても、大熊・双葉の両町における中長期的な復興に向けた基本的な考え方である「大熊・双葉ふるさと復興構想」、根本イニシアティブを、本年8月28日にとりまとめました。このような取組を通じて地元から受入れ表明をいただき、施設整備の段階に進むことができました。福島の喫緊の課題である除染も、農林業の再生などの復興関連施策とも連動しつつ、この先、さらに進むだろうと思います。
  このほか、福島県全体として、風評対策の強化として、風評の源を取り除く、正確で分かりやすい情報提供を進め、風評を防ぐ、風評被害を受けた産業を支援するという3つの柱から成る「風評対策強化指針」を本年6月にとりまとめて、全国に向けた対策も進めています。
  これを受けて、7月には、私自ら経団連など経済三団体を訪問して、企業における贈答品での活用の拡大、「社内マルシェ」の開催等、被災地産品の積極的な活用・販売等の取組の拡大について、直接働きかけを行いました。
  第五に、新しい東北についてであります。東北地方は震災前から人口減少、高齢化、産業の空洞化等の課題を抱えています。私は大臣就任直後、単に現状復旧するのではなく、震災を契機としてこのような問題を解決し、我が国や世界のモデルになるように復興に取り組もうという方針を打ち出しました。これが「新しい東北」であり、5つの柱を中心に、地域社会の将来像を提示しています。具体的には、元気で健やかな子どもの成長、活力ある超高齢社会、持続可能なエネルギー社会、頑健で高い回復力を持った社会基盤、農林水産業をはじめとする高い発進力を持った地域資源です。
  このような方向性の下で、東北地方は様々な潜在的な資源を有し、民間の自発的な取組の芽が次々生まれています。このような芽を、先導モデル事業や官民連携を通じて大いに育んでまいりました。昨年12月には、経団連、同友会、日商をはじめとする民間の積極的な協力を得て、700以上の団体による「官民連携推進協議会」を発足させました。被災地で活動している幅広い担い手が、互いの取組状況やノウハウに関する情報共有や意見交換を行うことで、このような自発的な取組が広がることを期待しています。
  最後に、確かに復興はまだまだ道半ばでありますが、政府の取組については、マスコミの調査によれば、首長では約9割の方に、住民の方では約5割の方に積極的に評価していただいています。これは、政権交代前の2年前の倍以上に大きく増えました。
政治家が、見たまま、聞いたまま、「復興が遅れている」と、評論家のようにいくら繰り返しても、復興は全く進みません。医者は、患者の話をよく聞き、病気を診断し、処方箋を書き、患者のために病気を治すべく全力を尽くす。病気が治せる医者がよい医者であり、医者の能力が試される。政治家も政権も同様。被災者の声に耳を傾け、なぜ復興が遅れているのかを的確に診断し、制度や予算というツールを使って処方箋を書き、被災者に寄り添って、復興の加速化のために全力を尽くすことが強く求められています。
  6年後には東京オリンピックも控えています。被災地にとって何より必要なことは、「復興の加速化」です。
震災の風化も指摘される中で、「復興の加速化」を「東京五輪の成功」という国家目標と重ね、国を挙げて「復興の加速化」の原動力の一つとしていかなければなりません。
  被災地の復興を成し遂げることは、日本を取り戻すこと。フランスの劇作家、詩人、著作家で外交官でもあったポール・クローデル。これは、1921年から27年まで駐日大使を務めました。1925年に大作「繻子の靴」を書き上げました。クローデルは、1923年の関東大震災を実体験しましたが、被災しても不平一つ言わず礼節を失わない日本人の姿に心を打たれました。そして後に「私にはどうしても滅びてほしくない民族がある。それは日本人である。日本人ほど、古い文明を今もそのまま受け継いでいる民族はない」と述べたと言われています。もしクローデルが東日本大震災に遭遇したとしたら、きっと同じことを言うのではないかと私は思います。この日本人の美徳が、我々の誇りです。
  日本人同士の強い絆の下で、引き続き「復興の加速化」に強力に取り組んでいかなければならないと考えています。
私からは以上です。

2.質疑応答
(問)大臣、今まで進めてきた政策について述べられましたが、あらためて、就任以来、どういう気持ちで復興大臣の仕事に取り組んできたのか。また、今回の改造を受けての所感をお願いします。
(答)私が復興大臣として、復興の司令塔として、真の政治主導で各省を動かし、取り組んできました。1年8カ月余り、現場主義に基づいて、被災地の皆様に寄り添い、全力で疾走を続けてきました。その結果、復興の加速化にしっかりと道筋をつけ、確かな手応えを感じています。その特色を5つ挙げれば、次のとおりであります。
  第一が、「ファースト31デイズ」。年末年始返上で、施策の総点検と再構築を実施し、大局的観点から直ちに政策を見直しました。政権交代があると、通常は「ファースト100デイズ」、蜜月期間と言われますが、私はこの1カ月の間に、「ファースト31デイズ」の間に施策を再構築し、総点検、そして新たな施策を打ち出す、そのつもりでやりました。例えば福島は、地震、津波に加え、原子力災害にも見舞われました。ただ、福島特有の問題への手当が薄かった。このため、「福島ふるさと復活プロジェクト」を直ちに創設しました。予算、組織のテコ入れも図りました。
  第二は、「現場に解がある」「現場から国を動かす」。現場主義を徹底し、現場で即断即決。それで解決しなければ、復興庁が司令塔として霞ヶ関を動かし、制度の見直しや予算につなげる。
  第三は「真の政治主導」であります。政治家が政策のリーダーとして大局観点から方向性を示す。そして、専門家である官僚が、政策のプロ集団として知恵を出す。そして、共に議論し、政策の案を仕上げる。そして、政治家は決断し、その結果について責任をとる。官僚は実行部隊として、責任を持って物事を前に進める。これは、もともと私の持論ですから、これを実践してきました。
  第四は「双方向型の国と地方」。国と地方自治体が、まずはそれぞれの立場を離れて、同じ目線で共に考える。次に、それぞれの立場の強みを生かし、地方自治体は住民との対話や事業の主体的な遂行について、国は財政面・人材面の支援などについて、スクラムを組んでそれぞれの役割を果たす。国と地方の新たな関係を構築してきました。
  第五は「官民連携」です。東北地方は、震災前から人口減少、高齢化、産業の空洞化等の課題を抱えていました。震災を契機として、このような課題を解決しようとする企業やNPOなどの幅広い担い手による様々な取組が生まれてきました。
官主導ではなく、我が国や世界のモデルとなるような民主導の自発的な取組を育てることにしました。
  また、多くの企業が、本業や社会貢献を通じて復興に貢献しています。民間の活力と意欲を生かし、経済三団体らと協同して、戦略的な産業復興や風評対策に取り組んでいます。
  これからも、しっかりと復興加速に取り組んでいきたいと思います。

(問)退任するにあたって、被災者に何か伝えたいことというか、メッセージのようなものがあればお願いしたいのですけれども。
(答)東日本大震災から3年が経過いたしました。あらためて、亡くなられた方にお悔やみを申し上げますとともに、いまだご不便な避難生活を余儀なくされている皆様にお見舞いを申し上げます。
  被災地にとって何より必要なことは、「復興の加速化」です。私は発災以来、これまで被災地に何度も足を運び、被災した皆様の声に耳を傾け、そして、復興に全力を挙げて取り組んでまいりました。被災地の復興を成し遂げることは、日本を取り戻すことであります。
  「3.11を忘れない」。日本人同士の強い絆の下で、引き続き「復興の加速化」に強力に取り組んでいかなければならないと考えております。
  今後も、復興大臣のリーダーシップの下に現場主義を徹底し、被災者の方々が一日も早く元の暮らしに戻れるように、国の総力を挙げて取り組むことで、復興が着実に前進することが必要だと思います。
  いずれにしても、復興はいまだ道半ば。今後とも復興のために尽くしたいという私の思いに変わりはありません。どんな立場であれ原点を忘れずに、「復興の加速化」に向けて、引き続き全身全霊を傾けて、あらん限りの力を尽くして、「復興の加速化」に努めていきたいと思っています。

以上