衆議院議員 福島2区(郡山市、二本松市、本宮市、大玉村
掲載 : 週刊文春 4月12日号
2001.04.12

根本匠+石原伸晃
まだ見ぬ総理へ送る 「日本経済サバイバルプラン」- 2

問題の本質はなぜ「先送り」にされたのか?

97年11月。拓銀、山一證券がたてつづけに破綻します。年が明けてすぐ、われわれは塩崎恭久大蔵政務次官(当時)の知恵も借りながら,自発的に金融の勉強会を始めました。やがて、日本の金融システムの抱える病根のあまりの深さに、背筋の凍る思いを共有するようになったのです。

2月からは、保岡興治(やすおか おきはる)衆院議員のサジェスチョンで、自民党内のワーキング・チームに発展しました(同年3月には「自民党土地債権流動化推進特別調査会」として正式発足)。まずまっさきに手をつけなければいけないと痛感したのは、不良債権のオフバランス化と土地の流動化でした。

オフバランス化とは簡単に言えば、銀行と借り手の間の債権債務関係を清算し、不良債権を銀行のバランスシートから実質的に外してしまうことです。

日本の場合、融資担保は大抵不動産ですから、不良債権をオフバランス化しようとすれば,担保不動産処理の問題も浮上する。

ところがそれらの土地は、バブル崩壊後の地価下落で大幅に担保割れしてしまっている上、権利関係が二重、三重に入りくんでおり、事実上塩漬けになっていることが多いのです。

銀行は、担保不動産の価値が下落すれば、貸し倒れに備えた引当金を積み増さなければならないことになっています。

たとえば銀行がA社に、時価1億円だった土地を担保に、1億1千万円融資していたとしましょう。A社の経営が悪化し,その土地の値段も2千万円まで下落すると、A社に土地を売らせても2千万円しか融資を回収することができません。この場合、銀行は貸出額との差9千万円を万一に備え引き当てる必要がある。

延滞債権と引当金あわせ,都合2億円。これを整理すれば債権部分は相当目減りするにせよ、少なくとも銀行は引き当てていたお金を自由にでき、その分新規融資にまわせるわけです。

ちなみに、かろうじて金利は支払っているものの、担保土地の価格が大幅に下落している灰色債権は、はっきり不良債権と認めるべきだと、われわれは考えています。

不良債権は、経済の血管である金融システムを目詰まりさせてしまう。一時的に、出血するかも知れないが、担保土地を一刻も早く処分し負債を清算する緊急外科手術こそが急務です。

もちろん、ある程度の輸血は要るでしょうが、この試練を乗り越えない限り、日本経済再生はありえない。

そこが、われわれの発想の原点でした。

98年4月24日に決定された政府の総合経済対策の中に、「土地債権流動化トータルプラン」が盛り込まれました。債権債務関係の円滑な処理を目的とし、以下の手段を掲げたのです。

(1)不良債権の適正評価

前述したように、日本の不良債権の査定はきわめて曖昧でした。債権の現在価値を計り、焦げつき額を確定させることが、不良債権処理の第一歩です。そのために欧米では当たり前の、デューデリジェンス(適正評価)という概念をはじめて導入しました。

(2)サービサー法の制定

貸倒れ額がはっきりしたら、次はどうするか。債務者の財産を整理し、取れるものは取り戻すのが、債権者の常識でしょう。

アメリカでは、「サービサー」と呼ばれる借金回収の専門家が、かなり以前から資格化されています。マンガに出てくるような「取り立て屋」をイメージして貰っては困ります。

債務者と話し合いの上、再建計画を立て、少しずつでも借金を返してもらうのが仕事です。威圧ではなく説得で、債権回収を進めるのです。

日本では弁護士にしか認められていなかったサービサーの業務資格を広く開放し、積極的な育成を促しました。

(3)SPC(特定目的会社)法の制定

不良債権といっても、担保価値がゼロになっているわけではありません。外資系金融機関がおもに手がけている、銀行から不良債権を安く買い上げ、回収・転売するバルクセールビジネスは、驚異的な利益をあげています。

また、不良債権を小口の証券に分け、売り出すやり方もあります。証券の発行・管理を行うSPC(特定目的会社)を作れば、手続きはよりスムーズになる。SPC法は98年9月1日に施行され、すでに豊富な実績をあげています。

なお、(1)の適正評価が、この手法が成功する鍵を握る。適正価格がつかなければ、買う人も出てきません。

(4)土地の流動化推進

不良債権処理に伴って売却した土地がだぶついては困ります。利用価値を高めるために、都市基盤整備公団を活用し、都市開発をスピーディーに進めたり、公的土地需要を創出するなど、土地流動化の手だてを講じました。

(5)再建型倒産法制の整備

借金を返すには、ただ会社を潰して財産を処分すればいいというものではありません。借金を整理した上で、再び事業を立て直せば、借金を少しずつ返すことだってできるのだから、債権者にとってもメリットがあるのです。

これまでの日本の倒産法制にも会社更生法や和議法といった「再建型手続き」はありましたが、実情は「会社を潰したのだから、身ぐるみ脱いで首を吊れ」といったレベルでした。つまり会社が破産しないと手続きをはじめられない。手続き事項もこみいっていて使い勝手が悪く、本当の意味の再建型法制とは程遠かったのです。

アメリカには、「チャプター・イレブン」といって、会社の資産は整理するが、事業そのものは生かして、みんながトクをすることを目的とした法律があります。これをお手本にしたのが、99年12月に成立した、「民事再生法」です。

われわれは、ここまで下準備をしてはじめて、不良債権を抱える銀行に手をつけられると考えていました。

「土地債権流動化トータルプラン」と同時に作った、「金融再生トータルプラン」は、不良債権の公表/適正な償却・引当/金融庁を設置し、公正で透明な行政を実現、かつ金融監督を強化する/金融機関のリストラ、経営健全化/金融機関の破綻処理スキームを確立/ブリッジバンクの創設という金融構造改革へ向けた処方箋を示しました。

このあたりの話は、今日お馴染みになった観があるので、いまさら立ち入って説明しません。ただここで強調しておきたいのは、金融機関の破綻処理は、当初のわれわれのトータルプランの中で、あくまで不測の事態に備えた枝葉に過ぎなかったことです。

われわれのビジョンは当初、自民党内はおろか、日本のマスコミにさえ、ほとんど無視されました。政治家を取材するのは政治部記者と決まっていますから、政局と関係ない金融政策の話をしても、怪訝(けげん)な顔をされるだけでした。

そんな中、英経済紙「フィナンシャルタイムズ」だけは、一面トップで「トータルプラン」を取り上げました(98年6月24日付)。

また同年5月6日、訪米中の加藤紘一自民党幹事長に、サマーズ米財務副長官(いずれも当時)は、「トータルプランに示された、日本政府の不良債権処理への決意を高く評価する」と語りました。

5月15日、橋本総理はバーミンガムサミット前のクリントン米大統領との会談において「オフバランス化」、つまり不良債権処理に取り組むと、はじめて表明したのです。

だが現実の流れは、予想よりはるかに速かった。

6月下旬から、マスコミは「長銀自主再建困難」と一斉に報じ始めた。みるみるうちに長銀の株価は額面割れまで追い込まれます。やがて日債銀の経営危機も表面化する。

相前後して、7月12日の参院選で自民党は大敗、橋本首相は退陣します。7月30日に小渕内閣が成立、続けて「金融国会」が始まった。

事ここに至っては、銀行の破綻処理という「応急手当て」を講じるしかありません。国難を前に与党も野党もあるか! と思ったわれわれは、民主党の若手ともタッグを組み、金融再生関連法案に必死で取り組みました。ところが、自民党内の一部からは、その行動が、「敵に塩を送るようなもの」とあらぬ誤解を受けたようです。

10月に入り、公的資金枠60兆円を使った銀行への公的資金注入を認めた「金融機能早期健全化緊急措置法」と、破綻処理の手続きを定めた「金融機能再生緊急措置法」が成立しました。

金融システムの全焼をぎりぎりで食い止めるのに、一定の効果があったのは事実。ただ反面、大きな悔いも残ります。

一つは、事態の深刻さへの認識が、まだ不十分だったという反省。もう一つは、世間の注目が銀行の破綻処理と公的資金注入にばかり集まってしまったことで、不良債権処理という本質が見失われ、金融再編に矮小化されてしまったという痛恨の思いです。

せっかくこれまで述べてきたような不良債権処理の仕組みを作ったにもかかわらず、その思想が生かされたとは、到底言えません。

確かに大手銀行への公的資金注入はやむをえなかった。しかし、税金で面倒を見てもらった以上、銀行はその猶予期間に不良債権の始末をどんどんつけ、なおかつ経営責任の明確化やリストラで、ツケを払わなければならない。

自主再建が難しい企業には早めに民事再生法を適用した方が、借り手・貸し手双方にとって被害が少なくて済むのです。にもかかわらず銀行は、腰のひけた債権放棄を繰り返し、かえって事態をこじらせた。

さらに金融再編が一気に加速したことで、多くの国民(もしかすると銀行自身も)は、不良債権問題にメドがついたように錯覚してしまった。いくら銀行の規模が大きくなろうと、不良債権問題が抜本的に解決されない限り、金融システムは再生しないのに。

こうしてなし崩し的な先送りが生じたことが、日本経済の混迷に拍車をかけた。3年前に、不良債権を手術台に乗せる一歩手前まで行ったのに……。あの時メスを入れておけば、ここまでひどくなることはなかったはずです。

好意的に解釈すれば、小渕前首相は、財政出動で景気を持ち上げた後、構造改革に踏み込もうという危機意識を持たれていたかもしれません。ところが突然の死で、ボタンのかけ違いが生じた。

本当は手術が必要な人間に、輸血をしたり、カンフル剤を打ったり、おいしいものを食べさせたりして体力を回復させ、さあ手術だ、と思ったところで、主治医が交代。いや、もう元気になったから手術は必要ないと退院させてしまった。

患者はウキウキと動きはじめた途端、すぐに激痛でうずくまってしまった。当たり前です。必要な手術をしていないのですから。なおかつ、うっかり元の体に戻ったつもりで動いてしまったから、前よりもっと体力が落ち、死の状態になってしまった。

この経済状況を前にして、もはや黙ってはいられません。われわれが起死回生の、「日本経済サバイバルプラン」を、世に問うゆえんです。